「愛着障害」という本と「愛着障害の克服」という本を読みました。

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愛着障害の人が、人との関係でつまづきやすい理由は容易に理解できるだろう。つまり、原点において他者に受け入れられるということがうまくいかなかったのであり、同時に自分を受け入れるということにもつまづいたのである。自分にとって重要な他者に受け入れられるプロセスをもう一度やり直すとともに、自分を受け入れられるようになることで、初めて愛着障害の傷跡から回復し、自分らしいアイデンティティを手に入れ、本当の意味で自立を達成することができるのである。

愛着障害とは、子どもの頃、重要な他者(親や、養育者)との愛着が不十分であるために、大人になってからも人と上手に関係をとることができなかったり、ストレスに弱くなったりして、生きづらさを抱える障害のことです。

風邪とか腹痛とかだったら、薬を飲めば治るけれど、この障害は薬を飲んでも治りません。

なぜなら、この障害は、体のどこかに傷をおったりするように、一人で完結する障害ではないから。人との関係性に傷を負っているので、人との関係性でしか癒すことできないんだよね。

今回、愛着障害を記事にするにあたって、一つの記事だけでは伝えきれないと判断しました。

なので、4回にわけて伝えます。もっと勉強したい人は、これらの本を読むことをおすすめします。

愛着障害シリーズ

愛着障害とは、重要な他者との関係性で生じる障害

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問題の本体は、患者とされた人にではなく、本人がもっとも信頼を寄せるべき存在との関係にあるということだ。世話や保護を与えてくれるはずの存在が、足を引っ張り、安全を脅かすという共通の構造がそこには見られる。こうした状況が破壊的な作用をおよぼし、病気を生んでしまうのは、その存在との関係が特別なものだからである。

子どものころに、例えば親の離婚で親との別れを経験したり、愛着をもっていた乳母との別れを経験したり、親から虐待されたりして、親や重要な養育者との関係に傷をおった場合、大人になってからも人と上手に関係を築くことができなくなります。人との距離感がいつまでたってもよそよそしくて遠かったり、逆に依存的になってべったりくっついてしまうんだよね。また、人と上手に関係をもてないために、人を支配することで関係をつなぎとめようとします。

「自分のことを受け入れられる」という経験が不足しているために、大人になっても承認欲求(人から認められたい、受け入れられたいという欲望)に振り回されることになりますし、「自分が受け入れられなかったのは自分には価値がないからだ」とか、「自分が悪い子だから親に愛されなかったんだ」と考えてしまい、自分に自信をもつことができなくなります。自分の自信のなさから逃れるために、誇大妄想(自分はすごい人で特別な人なんだという妄想)を抱くことで、心の中の空虚さを埋めようとしたりしてしまうんだよね。

本には愛着障害の種類がいろいろと書いてあったけれど、ブイチの解釈では、基本は二つです。「回避型(かいひがた)愛着障害」と「不安型愛着障害」です。そして、愛着障害の人は、この二つの基本の種類の人と、この二つの障害のどちらの要素ももっていて、混ざり合っている人がいるようにブイチは感じました。

例えば、「回避型」を赤色、「不安型」を青色とすると、赤と青が混ざった紫色の人もいるんだよね。ただ、人によって赤色が強い赤紫(つまり、回避型が強い傾向のある人)だったり、青が強い青紫(不安型が強い傾向の人)だったりするけれどね。もちろん、純粋な赤色の人もいれば、純粋な青色の人もいるけれどね。

じゃぁ、愛着障害の基本となる、二つの種類の説明をするね。

回避型愛着障害

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回避型愛着スタイルの人は、距離を置いた対人関係を好む。親しい関係や情緒的な共有を心地よいとは感じず、むしろ重荷に感じやすい。人に依存もしなければ、人から依存されることもなく、自己責任を重視する。

回避型は、人とぶつかりあったりする状況が苦手で、そうした状況におちいるくらいなら、自分から身をひくことで事態の収拾を図ろうとする。その一方で、ストレスが加えられると、短絡的に反応し、攻撃的な言動に出てしまいやすい。相手の痛みに共感できないところもあるので、自分が傷つけていることに気づかなかったりする。

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愛着し、その人に思い焦がれても、傷つき、ダメージを受けるだけである。それならば、最初から何も求めず、だれも愛さないのがいちばん傷つかないですむ。回避型の人は、本心や気持ちを抑えることがあたりまえになっており、長い間抑え続けてきたために、感情や気持ちといったものが自分でもわからなくなっている。

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「自分には、「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。変な言い方ですが、おなかが空いていても、自分でそれに気づかないのです。(太宰治)」

こうしたことが起きてしまうのは、自分の欲求や感覚よりも、周囲への気づかいのほうに全神経を注ぎ込み、空腹を満たすという本能的な喜びにさえ気持ちを注ぐことができないからである。

回避型の人は、人と親密な関係を築くことが得意ではありません。

その背景には、子どものころに親や養育者に愛情を求めても、求めても、愛してもらえなかったり受け入れてもらえなかった背景があります。

「愛情を求めてももらえないのであれば、最初から求めないほうがいい。そのほうが傷つかないですむ」「自分を受け入れてもらおうとしても無駄だ」という考えが背景にあります。

また、親から気持ちを共感してもらう経験が不足しているために、自分の気持ちや他人の気持ちを感じる能力が不足したり、過敏になったり、不自然になる傾向があります。

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回避型の人は、親密な関係になって相手に心から愛着してしまうことを恐れている。なぜなら、そうなってしまうと、自分は相手の支配下におかれてしまうからだ。

親や養育者に支配的に扱われて育った子は、人に自分の気持ちを許すことに恐怖を感じてしまうんだよね。気持ちを許して無防備になったら、また支配されて、搾取(さくしゅ)されてしまったり、傷つけられてしまうんじゃないかと感じてしまうんだよね。

また、情緒不安定な親の情緒を安定させるための道具として、人形のように扱われたり、愛玩動物(ペット)のように扱われた経験があると、またそういうふうに人間としてでなく、物やペットとして扱われるのではないかと考えてしまって、人と親密な関係を築くことにとても強い恐怖を感じてしまうんだよね。

そうならないために、自分から人と距離をとることで、自分を守っているんだよね。

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相手のアラを見つけて、冷ややかな目を向けたり、見下すような態度をとる。自信たっぷりで、誰の助けも必要としないというようにふるまうこともある。あなたなんかいなくても痛くもかゆくもないと、相手にも自分にも見せつけるように、傲慢な態度や無関心な態度、寄せ付けない態度をとるのである。

ようは、強がってるんだよね。自分は一人でも生きていけると。だれの助けも必要ないと。

人を見下すことで、自分の自信のなさをカバーしようとするんだよね。

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回避型の人は、物のように相手を使い、所有し、支配するという特徴がある。命令して思い通りに従わせることや、自分の好みの通りに相手を作りあげたりすることが、このタイプである。

回避型の対人関係の特徴の一つは、相手を「利用可能性」で見るということだ。自分にとって利用が可能なときには、相手に関心をもつが、利用する価値が何もないときには関心を失ってしまう。恋人やパートナーとの関係もそうしたものになりがちだ。料理をつくってもらいたかったり、買い物をしてもらいたかったり、用事をしてもらう必要がでてきたときには、その存在を必要とし、求めようとするが、用事がなくなると忘れてしまう。

つまり、人と情緒的なつながりをつくることができないので、「用事」でしか人とつながれないんだよね。もっとはっきり言ってしまうと、自分の欲望を満たしたり、なにかを達成するための道具や手段としてしか、人を見れないのかもしれません。

自分の感情にしても、人の感情にしても、軽視してしまうので、感情のない「もの」として人と接しがちなのかもしれません。

ただ、回避型のこの傾向は、お仕事をするにあたって、感情的にならないで冷静に判断をしたり、対処したりするというふうに有利に働くこともあります。

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回避型の人にとっては、自分の気持ちの表現が苦手なだけでなく、相手から気持ちを表現されることもわずらわしく感じられる。たとえそれが、自分に対する共感や同情だったとしても、そんなものを見せられたところで何の役にも立たないという思考が、どこかで働いてしまうのだ。

回避型の人は、自分の気持ちや本音をなかなか言わない。自分の過去の体験や思い出についても語りたがらないことが多い。自己開示することを避けようとする。ずっと自分の感情や気持ちを抑えてきたため、過去に体験したした経験も、感情という色彩に彩られておらず、思い出を語ろうにも、淡い記憶しか残っていないという場合もある。

言わないのでなく、言えない場合もあります。辛い記憶を封じ込めて、記憶の底の底の底の底にしまいこんでいる場合もあるし、悲惨な経験を思い出しても「別になにも感じない」というふうに、淡白に語る場合もあります。

また、人と情緒のかよったコミュニケーションが苦手だし、めんどくさく感じてしまうんだよね。そこには、人と情緒の通ったコミュニケーションを行っても、無駄でなにも生み出さないし、自分が傷つくだけだというあきらめがあるのかもしれません。あきらめざるを得なかった過去の悲惨な経験があるのかもしれません。

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回避型の人にとって、体験を語ることは、自分の体験を始めて感情とともに取り戻すことであったりする。自分という人間が、どういう人間で、どのようにして生きてきたのかを始めて知ることでもある。自分に出会い、自分という人間に向き合うためには、自分の体験をしたことを語るという営みがとても大切なのである。

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回避型の人は、甘えてこなかった人である。甘えられる境遇になかったため、「甘える」という回路が未発達なのである。甘えるためには相手に気を許し、打ち解けないといけないが、まずそれができない。弱みを見せたり、自分をさらけだしたりすることができないのだ。

それゆえ、回避型を改善していくうえでは、甘える体験を取り戻していく必要がある。

不安型愛着障害

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不安型の人は、愛着対象に対する期待がとても大きい。子どものころ、愛着対象から条件付きの不安定な愛情しか与えられなかったことで、愛情に対する飢餓感が強いのだ。そのため、本当はパートナーに愛され、支えられている場合でも、それを不十分なものと感じてしまう。

不安型の人は、幼いころから養育者に、過保護に甘やかされる一方で、親の意に沿わないと強く拒否されるといった、極端さのなかで育っていることが多い。そのため、甘えたい、愛情を求めたいと願う一方で、またいつ手痛い仕打ちがまっているかもしれないという気持ちも抱いている。愛情が無条件のものではなく、状況が変われば見捨てられるという思いを消せないのである。

「近い関係の人に求めすぎる点」が、不安型を理解するうえでとても大事な点だとブイチは感じています。これから下に書いていくけれど、不安型は他者との関係性においていろいろと問題を引き起こしがちです。

その背景にあるのは、自分をちゃんと扱ってほしいという、他者に対する期待の高さがあります。そしてさらにその奥にあるのは、子ども時代に強烈に感じた「愛情や受け入れてもらうことに対する圧倒的な飢え」であったり、「見捨てられることに対する恐怖」なんだよね。

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不安型の人は、距離が保たれている限り、とても優しく、サービス精神があり、接していてとても心地よい。不安型の人のもろさや厄介な面が明確にあらわれるのは、親密な関係になったときである。急激にもたれかかってきて、相手のすべてを独占したいという傾向が顕著になる。親密になればなるほど、急速に自分と他者の境界が曖昧になり、相手を自分の一部のように思い込んでしまう。

「見捨てられる」という不安が強いため、自分が愛されていることを確かめようとする過剰確認行動も認められやすい。また、猜疑心や嫉妬心が強く、相手の行動をしばったり、監視したりするということも起きる。相手に見捨てられることを恐れる一方で、激しい言葉や、相手のプライドをずたずたにするような言葉をわざわざ投げかけてしまう。その背後には、相手が自分のことをおそろかにしているという被害感がある。

否定的な感情にとらわれやすく、ささいなことをいつまでもひきずりやすい性向は、怒りをじくじくと長引かせやすい。見捨てられることへの恐怖や認められたいという欲求が強力であるだけに、それをないがしろにされたことに対する怒りはそう簡単にはおさまらない。

つまり、相手に対する期待の高さがあるんだよね。

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不安型の人は、自分を受け入れてもらいたい、認められたいという欲求が非常に強い。その点に彼らの最大の関心ごとがあるといってもいいほどだ。相手の顔色に敏感で、必死に相手に認めてもらおうと頑張るのだが、少しでも相手の評価が下がったような気配を感じると、落ち込んでしまうか、逆に怒りモードになって攻撃的な反応をすることもある。

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不安型が「許せない」と思いがちな原因は、一部分に過ぎない点を、すべて悪いと全否定にすりかえてしまう思考パターンにある。その根底にあるのは、物事を「良い」と「悪い」の二つに分けて考える二分法的思考であり、良い悪いで評価してしまうクセだ。

この二分法的で評価するクセは、親の期待に沿えば「良い子」期待に反すれば「悪い子」とみなされ、バツを受けてきたことに由来している。かつて自分がそうされたように、「悪い子」だとみなした人を、許せないと全否定してしまうのである。本当は、親の基準で評価するのではなく、その子の求めているものやその子の気持ちをくみとって共感してもらえたら、そうした二分法的評価には染まらなかったのだが。

不安型の人の特徴は、怒りや敵意の矛先が他者だけでなく、自分自身にも向けられやすいという点だ。自分を批判したり責めたりして自己嫌悪におちいり、その結果、うつにもなりやすい。不安型の人の怒りには、相手に向かう部分と自分に向かう部分の両面が入り混じりやすいのだ。

不安型の人は、完ぺき主義におちいりやすいんだよね。そして、完璧になれない自分や他人を受け入れることに難しさを感じがちです。

100点をとったら受け入れられるけれど、99点だったら許せないとかね。

親にとっての「良い」「悪い」という、親のものさしを強烈に押し付けられたことから、ものさしが一つになりがちなんだよね。自分なりのものさしに対して共感してもらったりする経験が不足していることから、「これもいい」「あれもいい」というような、いろいろなものさしをもつことが難しかったんだよね。

そしてこの完ぺき主義の傾向は、うつ病だったり、神経症をおこしやすいんだよね。また、人付き合いで過剰に気をつかってしまうので、疲れてしまったり、人付き合いをおっくうに感じてしまうし、ぎこちなくでしか人と付き合えないので、自然な交流を楽しむことに難しさを感じてしまいます。

次回の記事では、愛着障害の背景について書きます。次回も読んでくださいな。

読んでくれてありがとさん!!

愛着障害シリーズ
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