ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、けっして、きれいではない。
芸術家の岡本太郎さんの言葉だそうです。
「きれいな絵」が意味するものと「美しい絵」が意味するものは違います。
そしてそれは人も同じです。
「きれいな人」と「美しい人」の違いはいくつかあるけれど、今日はそのうちの一つを紹介するね。お付き合いください。
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「きれいな人」は、見た目やしぐさがきれいな人です。わかりやすいよね。
それに対して、「美しい人」は見た目は関係ありません。見た目がきれいな人もいるし、そうでない人もいます。
じゃぁ、なにがきれいな人と違うのでしょうか?美しい人ってどんな人のことかな?
人によっていろいろな考えがあると思うけれど、「美しい人は自分の業(ごう)と向き合って、業物(わざもの)に変えることに成功した人」だとブイチは考えています。
・・・・・・わからないよね。詳しく説明するね。
憎しみ、傲慢、恐怖、強欲などなど、人間ってドロドロとした負の感情をたくさんもっているよね。
業(ごう)とは、こういったドロドロとした感情のことです。「業が深い」っていう言葉もあるよね。
業物(わざもの)とは良い刀のことです。辞書で調べたら、「名工が鍛えた、切れ味のよい刀剣」とでました。
ドロドロとした感情をもっていない人はいません。きれいな人も、美しい人も、みんなドロドロとした感情をもっています。もちろん、ブイチも持っています。
自分のドロドロとした感情と向き合うのって、辛いし難しいよね。ドロドロとした感情と向き合わずに、目を背けて暮らしている人も多いと思います。
きれいな人もそうです。ドロドロとした感情を見てみぬ振りをして、表情や敬語、しぐさで自分のどろどろとした感情を隠しています。
でも、こういった感情って、排除しきれないんだよね。
どんなに上手に包み隠しても、見る人が見ればわかります。
たとえ完璧に表情やしぐさをつくりこんで、自分のドロドロとした感情を隠しきったとしても、その先にあるのは、美しさでなくてきれいさなんだよね。
では美しい人はどうかな?
きれいな人と違い、美しい人は自分のドロドロとした感情と向き合って、美しさや魅力に変えようとします。
ドロドロとした感情を乗り越えた先には必ず美徳があります。
憎しみを乗り越えた先には無償の愛が、傲慢を乗り越えた先には謙虚が、恐怖を乗り越えた先には勇気が、強欲を乗り越えた先には節制があります。
さらにいえば、ドロドロとした負の感情を経由しないと、美徳にはたどりつけないんだよね。
例えば、恐怖を知らない人がだす勇気と、恐怖を知った人がだす勇気は違います。
おぼれている子を助けるために海に飛び込むときに、海の怖さを知らない人が海に飛び込むときにだす勇気と、海の怖さを十分に知っている人が、それでも海に飛び込むときにだす勇気は明らかに違うでしょ?
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業を修めると書いて、修業と書きます。
美しい人は、ドロドロとした感情が美しさにつながることを理解しています。だから、遠ざけようとはしません。向き合って、乗り越えて、自分の美しさに変えます。
こういった美しさは、見た目のきれいさのように一目見ただけではわかりにくいかもしれません。
でも、ある程度同じ時間をすごしたらわかります。美しさは内側からにじみでてくるから。
読んでくれてありがとさん!!
答えです。探してくれてありがとさん!!